かまぼこ社長の無常ブログ

The most beautiful dirt you've ever seen

Happily exhausted.

I'm so exhausted today that it won't take long for me to fall asleep. I'm gonna go to bed soon. Yup, completely worn out.


But before that, before I forget, let me put some of my thoughts floating in the sea of my mind, because looking back at today as a past and giving some feedback to myself means a lot to me.


To make a long story short, I think I'm feeling happy . It's being at an incredibly high level. I hope this will turn into a good booster for my tomorrow schedule.


I feel quite good when looking at someone else smiling after giving my best at my job. One of the roles I need to play as an entrepreneur is to make people smile and give them a positive change in their whole life. Today was a day where I saw a lot of smiles on people's face and shiny hopes in their eyes. We're proceeding every day. Make tomorrow a better day!

作家の文体に名前を付けたらこうなった

いつからこんなに文章オタクになってしまったのだろうかと自分に問いかけることがよくある。厳密に言うと「文体マニア」だろう。とにかく人が書く文章が気になって仕方ないのだ。「なんでこの人はこんな表現をしたのだろうか」「この絶妙な言い回し、すごいセンス!」「この人は一体何を言いたいんやろう?」などなど、少し意識的に見ると世の中にはいろんな個性をもった文章が転がっている。


ひとつの大きな転機になったのは村上春樹の作品だと思う。こればかりは多くを語る必要はないけど、村上春樹の特徴はその文体にあって、それが彼の作品における好き嫌いの物差しになることが少なくない。「翻訳調だ」「会話がクサい」「1ページ読むのですら苦痛」とか、とにかく読む人を選ぶ作家らしい。


もちろん作品によってテイストは変わるけど、それぞれの作家が持つ文体の色っていうのはやっぱりある。夏目漱石太宰治あたりなんか、名前を伏せてても文章を見ればだいたいわかる。それが文豪と言われる所以なんだろう。


この間読んだ林真理子の『恋』なんか凄かった。とにかく文章がフランス臭いのだ。行ったこともないのにフランスの臭いを感じる。フランスらしいふわっとした恋の臭い。完全に視覚が錯覚を起こして鼻に作用した感じです。後々リサーチしてみたら彼女自身がフランス文学から影響を受けていることもわかって、すっきり納得でした。確かに、さっぱり晴れた日の気だるい午後みたいな雰囲気は、サガンの小説に近いものを感じました。


ここで個人的な独断と偏見で作家さん達の文体に名前を付けてみます!あくまで個人的なイメージなので悪しからず。


村上春樹 → 他人行儀
三島由紀夫 → 高級食材詰め合わせ
よしもとばなな → ゆる哲
ドストエフスキーイシツブテ
トルストイ → 魔界の迷路
重松清 → いい人
小川洋子 → 冷めた理系女子
安部公房箱男


最後の方は人物像みたいになったけど、結局文体ってその人の人柄や考え方を表す鏡なのかもしれませんね。自分の文体は人からどう見られているんだろう。気になるなぁ。そういったことを考えているから文章が進まない。これが今の自分の最大の悩みです。中村うさぎみたいな説得力とユーモアと哲学を兼ね備えた文章を書ける日はいつ来るのやら。

Expensive lunch worth paying

As I tweeted earlier, today was a big day filled with a joy of learning. I got to spend some time with a good friend of mine at Hilton Osaka. It was a perfect sunny day. We frankly exchanged our thoughts and ideas over lunch and several cups of afternoon tea. I find it gorgeous and even romantic in any way. I’m sure I’ll never get sick of having a time of this kind.


Our talk centered around lots of topics: twitter, career path, business planning, successful philosophy, technological development and so on. Most of them were deeply discussed and tightly concluded with great inspiration and positive criticism.


Anyway, I had such a wonderful time with him today. That’s why I’m writing in English. Have you ever felt like using English when you get motivated? Today was extremely hot but I’m burning with PASSION right now, not summer heat, haha.

変わりゆく自分を前にして思うこと

2年前の日記を開いたら、別人が書いたような文章が目に飛び込んできた。字はみみずのように曲がっているし、言いたいことも意味不明。これが本当に自分の文章かと疑いたくなるけど、どうやら間違いなく自分が書いたものと認めざるを得ない。


内容もまたすこぶる陳腐で、その日は大学の時の友人と会っていて「月収80万の仕事に転職するんやけど、どう思う?もう面接の日程とかは決まっててさぁ」とかいう相談を受けていたらしい。


そんな出来事について思ったことをちんたらぶらぶらと書いていたのが、その2年前の今日だ。そもそも話の内容が浅はかで情けなくなるし、それに関しての自分の日記のまとめ方なんかもう・・・。どこを切り取ってもレベルが低い。なんとも情けない限り。いやー過去の自分ならどれだけでも貶してくれて結構です、本当に。


それに比べると最近の日記は、割と要領を得て納得いく形で書けていると思う。字のきれいさは8割増しになり、文章自体も幼稚園児の落書きから高校生の読書感想文くらいまでにはレベルアップした。書く内容・視点・表現力も少しずつ変化しているのを実感している。まだまだ目指すレベルには程遠いけど。


2年間。それは短いようでとても長く、人が変化するにはある意味十分な時間なのかもしれない。数字に置き換えればたかだか730日なんだけど、馬鹿にはできない時間の束だ。その中で、ある人は成長し、ある人は退化する。その人の考え方や行動次第でどうにでもなるものだと思う。そういう意味で自分は常に前向きに進化していきたいとずっと思っている。


2年前の日常なんかそこら辺にまだ転がっていて、手を伸ばせば拾えそうな気がする。あの時に誰がどう言ったとか、どう感じたとか、あらゆる感触がまだ手の中に残っている気さえする。感覚的にはほんの最近のことだけど、それは遠い昔の出来事なのだ。



そういえばここ数年間で、あらゆるものが変わった。例えば人間関係。仕事やプライベートに関わらず、新しい人が現れては流れるようにどこかへ消えていった。村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」にも似たような描写があったけど、本当に沢山の人が自分の部屋に入ってきては、次々と目の前を通りすぎてドアから出ていってしまった。自分が知らない世界に生きる人、違う価値観を持った人、そして少しばかり心が通じ合ったと思えた人ー みんなどこかへ行ってしまった。理由はわからない。でもきっと村上春樹が描く「僕」みたいに、自分は何かと気難しい人なのかもしれない。それに、自分が「変わろう」としている限り、周りの環境や人間関係も自ずと変化するものなのだ。そう考えると、去っていったのはあくまでも彼らではなくて、自分自身の方なのかもしれない。


とにかく数年前から同じ状態を保ちながら残っているものなんて、自分の周りには何一つない。人間関係・物事への熱意や関心など、あらゆるものが変わった。それを成長と呼べるのなら嬉しいことではあるけど、それと同じくらい大きい不安に飲み込まれてしまいそうになるのも事実である。自分の人生がどうもパッチワークみたいな継ぎはぎでできているような気がしてきて、その一貫性のなさがザクザクと胸を刺すのだ。


「変わらない」ということは時には「安定」を意味するのかもしれない。何も考えずにぼうっと時間を空費するサラリーマンが心底羨ましくなることもある。規則正しい生活・安定した収入・保証された身分、そんなものを遠目で指をくわえて眺めている自分もいる。でも自分はその道を選ばなかった。険しい道のりになることを覚悟して起業し、事業をするという選択をしたのだ。そう、すべてはないものねだりなのだ。


今抱えている鬱蒼とした不安はきっと成長の裏返しなのだろう。日々変わりゆく自分の肉体や精神にたいして不安を抱くのは、思春期で成長期の子供によくあることではないか。そう考えると少し肩が軽くなった気がする。


今日、こんなことを書いているけど、2年後の自分は日記に何を書くのだろう?そしてこの記事を見て何を思うのだろう?昔話として笑っているだろうか。それとも笑えない冗談として顔を歪めるだろうか。いずれにせよ今とは違った他人のような自分が見ているのは明らかだ。満を持してその時を待とう。その時は銀行の残高も成長していたら嬉しいなぁ。