かまぼこ社長の無常ブログ

The most beautiful dirt you've ever seen

変わりゆく自分を前にして思うこと

2年前の日記を開いたら、別人が書いたような文章が目に飛び込んできた。字はみみずのように曲がっているし、言いたいことも意味不明。これが本当に自分の文章かと疑いたくなるけど、どうやら間違いなく自分が書いたものと認めざるを得ない。


内容もまたすこぶる陳腐で、その日は大学の時の友人と会っていて「月収80万の仕事に転職するんやけど、どう思う?もう面接の日程とかは決まっててさぁ」とかいう相談を受けていたらしい。


そんな出来事について思ったことをちんたらぶらぶらと書いていたのが、その2年前の今日だ。そもそも話の内容が浅はかで情けなくなるし、それに関しての自分の日記のまとめ方なんかもう・・・。どこを切り取ってもレベルが低い。なんとも情けない限り。いやー過去の自分ならどれだけでも貶してくれて結構です、本当に。


それに比べると最近の日記は、割と要領を得て納得いく形で書けていると思う。字のきれいさは8割増しになり、文章自体も幼稚園児の落書きから高校生の読書感想文くらいまでにはレベルアップした。書く内容・視点・表現力も少しずつ変化しているのを実感している。まだまだ目指すレベルには程遠いけど。


2年間。それは短いようでとても長く、人が変化するにはある意味十分な時間なのかもしれない。数字に置き換えればたかだか730日なんだけど、馬鹿にはできない時間の束だ。その中で、ある人は成長し、ある人は退化する。その人の考え方や行動次第でどうにでもなるものだと思う。そういう意味で自分は常に前向きに進化していきたいとずっと思っている。


2年前の日常なんかそこら辺にまだ転がっていて、手を伸ばせば拾えそうな気がする。あの時に誰がどう言ったとか、どう感じたとか、あらゆる感触がまだ手の中に残っている気さえする。感覚的にはほんの最近のことだけど、それは遠い昔の出来事なのだ。



そういえばここ数年間で、あらゆるものが変わった。例えば人間関係。仕事やプライベートに関わらず、新しい人が現れては流れるようにどこかへ消えていった。村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」にも似たような描写があったけど、本当に沢山の人が自分の部屋に入ってきては、次々と目の前を通りすぎてドアから出ていってしまった。自分が知らない世界に生きる人、違う価値観を持った人、そして少しばかり心が通じ合ったと思えた人ー みんなどこかへ行ってしまった。理由はわからない。でもきっと村上春樹が描く「僕」みたいに、自分は何かと気難しい人なのかもしれない。それに、自分が「変わろう」としている限り、周りの環境や人間関係も自ずと変化するものなのだ。そう考えると、去っていったのはあくまでも彼らではなくて、自分自身の方なのかもしれない。


とにかく数年前から同じ状態を保ちながら残っているものなんて、自分の周りには何一つない。人間関係・物事への熱意や関心など、あらゆるものが変わった。それを成長と呼べるのなら嬉しいことではあるけど、それと同じくらい大きい不安に飲み込まれてしまいそうになるのも事実である。自分の人生がどうもパッチワークみたいな継ぎはぎでできているような気がしてきて、その一貫性のなさがザクザクと胸を刺すのだ。


「変わらない」ということは時には「安定」を意味するのかもしれない。何も考えずにぼうっと時間を空費するサラリーマンが心底羨ましくなることもある。規則正しい生活・安定した収入・保証された身分、そんなものを遠目で指をくわえて眺めている自分もいる。でも自分はその道を選ばなかった。険しい道のりになることを覚悟して起業し、事業をするという選択をしたのだ。そう、すべてはないものねだりなのだ。


今抱えている鬱蒼とした不安はきっと成長の裏返しなのだろう。日々変わりゆく自分の肉体や精神にたいして不安を抱くのは、思春期で成長期の子供によくあることではないか。そう考えると少し肩が軽くなった気がする。


今日、こんなことを書いているけど、2年後の自分は日記に何を書くのだろう?そしてこの記事を見て何を思うのだろう?昔話として笑っているだろうか。それとも笑えない冗談として顔を歪めるだろうか。いずれにせよ今とは違った他人のような自分が見ているのは明らかだ。満を持してその時を待とう。その時は銀行の残高も成長していたら嬉しいなぁ。